今日は前回の続きで、四苦八苦の中の「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」について、お話していきます。
*「愛別離苦」は、 あいべつりく と読み、「愛する人や、大切なものと別れなければならない苦しみ」を指します。
簡単に言うと、好きだからこそ離れるのが苦しいという意味です。
例えば、家族や大切な人との死別や、愛する人との別れ、家族や友人と離れて暮らす事や、大事にしていたものを失う事などの苦しみがあります。
こうした別れは、誰にも避けきれない苦しみとして捉えられています。
別れる事の苦しみは、単に悲しいというだけでなく、思い通りにならないことも含まれています。
その背景として、仏教真理では「物事は変わり続ける」という考えがあり、どんなに深い愛であっても、いつかは必ず別離や終わりがあるという「諸行無常」の理を意味しています。
愛別離苦は、どれほど大切に思っていても、別れを完全には避けられないという人生の苦を示しています。
*「怨憎会苦」は、おんぞうえく と読み、「嫌いな人、憎んでいる相手と会わなければならない苦しみ」という意味です。
例えば、会社や学校、親戚関係などで、苦手な人と関わらざるをえない苦しみや、どうしても会いたくない相手なのに避ける事の出来ない辛さや苦しみです。
簡単に言うと、苦手な人と関わらざるをえないしんどさです。
仏教では、それを単なる人間関係や相性の悪さではなく、思い通りにならないことから生じる苦という、苦しみの分類として見るので、そこが現代の人間関係の悩みの問題との大きな違いです。
先に述べた「愛別離苦」は、会いたいのに別れる苦しみですが、「怨憎会苦」は、会いたくないのに会う苦しみという事になり、どちらも人間関係における苦しみですが、苦しみの方向が逆という事になります。
怨憎会苦は、避けたい相手を避けきれない苦しみを表します。
*「求不得苦」は、ぐふとっく と読み、求めても手に入らない苦しみという意味です。
例えば、欲しいものが手に入らない、望んだ通りにならない、願ってもかなわない等、こうなってほしいのに、かなわない時の辛さや苦しみを表します。
また、好きな人に振り向いてもらえない、努力したのに結果が出ない、欲しいものが手に入らない、そういった望みがかなわない苦しみや、欲しいのに手に入らない辛さを指しています。
仕事上で言うと、頑張ったのに昇進できないとか、評価が得られないとか、欲しい収入に届かない等があり、お金や地位や名誉など、求めるものが得られないものの代表例です。
学業においては、一生懸命に勉強して受験したのに合格できなかった、一生懸命に練習したのに試合で勝てなかった等、努力したのに思う結果が出ない等、努力と成果が繋がらない事での辛さは、思い通りにならない苦しみに共通します。
物や状態においては、好きな車が手に入らない、欲しいブランド物があっても買えない、欲しいと思う家が買えない、健康でいたいのにそうならない、一つ手に入れても、また欲しいものが出て来て、欲が続く限り満ち足りた心が得られないという苦しみもあります。
人間関係においては、好きな人に振り向いてもらえない、認めて欲しい相手に認めて貰えない、仲良くしたいのに上手くいかない等、恋愛や承認への願いがかなわない苦しみ等もあります。
求不得苦は、求めても得られない苦しみを表します。
*「五蘊盛苦」は、ごうんじょうく と読み、自分の心や体が思い通りにならない(煩悩を制御できない)という、人の心と体をつくる五感の働きに執着することで生まれる苦しみを指します。
五蘊は、心身を成り立たせる五つの要素(色、受、想、行、識)の集まりを指します。
色:肉体や物質 受:物事を受け取った時の感覚、感じること 想:イメージ、物事を見分ける、判断 行:気持ちの動き=考えを行動に向かわせる、意志と心の働き 識:対象を認識する、気付き
盛苦とは、その五つの要素の働きが強く動き、それにとらわれる事(執着)により苦しみが起きるという意味とされています。
五蘊は、人間を肉体である色(しき)と、精神である受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)という五つのはたらきに分けて見た仏教の基本的な考え方です。
その目的としては、自己への執着をゆるめて、苦しみの仕組みを見抜くことにあります。
人間は、体も感情も記憶も判断も意識も、すべて条件によって生まれては変化していくものです。
五蘊による苦しみは、五蘊そのものが悪いのではなく、そこにこれが本当の自分だとしがみつくこと(変化を拒み、留まる事に執着する)が苦の原因になるという考え方から、五蘊に強く執着すると苦しみが生まれると説かれています。
またそうした事により、人間の心や体そのものが思い通りにならず苦を引き起こすという事になります。
そのため五蘊盛苦は、人間が生きようとするほど心や体が思い通りにならないという「四苦八苦」の苦悩に陥りやすく、その原因は、私たちの自己中心的な欲望である煩悩(ぼんのう)から引き起こされるものだと、お釈迦様は説かれています。
苦しみの時にできることは、直ぐに解決策を探すのも良いですが、先ずは「今自分は苦しんでいる」と受け入れることです。 そして誰か信頼できる人に話てみる。 今の状態は永遠ではない、変わっていくと思ってみる。 どんな苦しみでも諸行無常の流れの中にあるので、必ず変化していくものです。
そして苦しみは「敵」ではなく「気付き」の切っ掛けです。
人間は、四苦八苦の苦しみは誰も避けられませんが、今の苦しみを理解し、執着を手放すことで、苦しみとの付き合い方は変わっていきますので、一歩一歩自分のペースで歩んで行きましょうね。