神霊による人生相談

ょっ言。

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2026年8月の投稿一覧

-2026年8月29日-

今日は前回の続きで、四苦八苦の中の「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」について、お話していきます。


*「愛別離苦」は、 あいべつりく と読み、「愛する人や、大切なものと別れなければならない苦しみ」を指します。
簡単に言うと、好きだからこそ離れるのが苦しいという意味です。


例えば、家族や大切な人との死別や、愛する人との別れ、家族や友人と離れて暮らす事や、大事にしていたものを失う事などの苦しみがあります。

こうした別れは、誰にも避けきれない苦しみとして捉えられています。 
別れる事の苦しみは、単に悲しいというだけでなく、思い通りにならないことも含まれています。

その背景として、仏教真理では「物事は変わり続ける」という考えがあり、どんなに深い愛であっても、いつかは必ず別離や終わりがあるという「諸行無常」の理を意味しています。

愛別離苦は、どれほど大切に思っていても、別れを完全には避けられないという人生の苦を示しています。

*「怨憎会苦」は、おんぞうえく と読み、「嫌いな人、憎んでいる相手と会わなければならない苦しみ」という意味です。

例えば、会社や学校、親戚関係などで、苦手な人と関わらざるをえない苦しみや、どうしても会いたくない相手なのに避ける事の出来ない辛さや苦しみです。

簡単に言うと、苦手な人と関わらざるをえないしんどさです。

仏教では、それを単なる人間関係や相性の悪さではなく、思い通りにならないことから生じる苦という、苦しみの分類として見るので、そこが現代の人間関係の悩みの問題との大きな違いです。 

先に述べた「愛別離苦」は、会いたいのに別れる苦しみですが、「怨憎会苦」は、会いたくないのに会う苦しみという事になり、どちらも人間関係における苦しみですが、苦しみの方向が逆という事になります。

怨憎会苦は、避けたい相手を避けきれない苦しみを表します。

*「求不得苦」は、ぐふとっく と読み、求めても手に入らない苦しみという意味です。

例えば、欲しいものが手に入らない、望んだ通りにならない、願ってもかなわない等、こうなってほしいのに、かなわない時の辛さや苦しみを表します。

また、好きな人に振り向いてもらえない、努力したのに結果が出ない、欲しいものが手に入らない、そういった望みがかなわない苦しみや、欲しいのに手に入らない辛さを指しています。

仕事上で言うと、頑張ったのに昇進できないとか、評価が得られないとか、欲しい収入に届かない等があり、お金や地位や名誉など、求めるものが得られないものの代表例です。

学業においては、一生懸命に勉強して受験したのに合格できなかった、一生懸命に練習したのに試合で勝てなかった等、努力したのに思う結果が出ない等、努力と成果が繋がらない事での辛さは、思い通りにならない苦しみに共通します。

物や状態においては、好きな車が手に入らない、欲しいブランド物があっても買えない、欲しいと思う家が買えない、健康でいたいのにそうならない、一つ手に入れても、また欲しいものが出て来て、欲が続く限り満ち足りた心が得られないという苦しみもあります。

人間関係においては、好きな人に振り向いてもらえない、認めて欲しい相手に認めて貰えない、仲良くしたいのに上手くいかない等、恋愛や承認への願いがかなわない苦しみ等もあります。

求不得苦は、求めても得られない苦しみを表します。

*「五蘊盛苦」は、ごうんじょうく と読み、自分の心や体が思い通りにならない煩悩を制御できない)という、人の心と体をつくる五感の働きに執着することで生まれる苦しみを指します。

五蘊は、心身を成り立たせる五つの要素(色、受、想、行、識)の集まりを指します。

:肉体や物質  :物事を受け取った時の感覚、感じること  :イメージ、物事を見分ける、判断 :気持ちの動き=考えを行動に向かわせる、意志と心の働き :対象を認識する、気付き

盛苦とは、その五つの要素の働きが強く動き、それにとらわれる事(執着)により苦しみが起きるという意味とされています。

五蘊は、人間を肉体である色(しき)と、精神である受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)という五つのはたらきに分けて見た仏教の基本的な考え方です。
その目的としては、自己への執着をゆるめて、苦しみの仕組みを見抜くことにあります。 

人間は、体も感情も記憶も判断も意識も、すべて条件によって生まれては変化していくものです。
五蘊による苦しみは、五蘊そのものが悪いのではなく、そこにこれが本当の自分だとしがみつくこと(変化を拒み、留まる事に執着する)が苦の原因になるという考え方から、五蘊に強く執着すると苦しみが生まれると説かれています。

またそうした事により、人間の心や体そのものが思い通りにならず苦を引き起こすという事になります。

そのため五蘊盛苦は、人間が生きようとするほど心や体が思い通りにならないという「四苦八苦」の苦悩に陥りやすく、その原因は、私たちの自己中心的な欲望である煩悩(ぼんのう)から引き起こされるものだと、お釈迦様は説かれています。

苦しみの時にできることは、直ぐに解決策を探すのも良いですが、先ずは「今自分は苦しんでいる」と受け入れることです。 そして誰か信頼できる人に話てみる。 今の状態は永遠ではない、変わっていくと思ってみる。 どんな苦しみでも諸行無常の流れの中にあるので、必ず変化していくものです。

そして苦しみは「」ではなく「気付き」の切っ掛けです。

人間は、四苦八苦の苦しみは誰も避けられませんが、今の苦しみを理解し、執着を手放すことで、苦しみとの付き合い方は変わっていきますので、一歩一歩自分のペースで歩んで行きましょうね。

-2026年 8月14日-

もう、お盆の期間に入りましたね。 皆さん、お仏壇での供養や、お墓参り等されているかと思います。

お盆の期間や、お盆を過ぎても、導きが必要な魂達に気付きの法話をしてあげると、更に楽な世界へ上がって行かれるので、今回その一つとして、「四苦八苦」についてお話します。

お釈迦さまが真理を悟られた後、人生は思い通りにならないところに苦しみが生まれ、「人生は苦である」と説法されました。

お釈迦さまは、人間が生きものとして、この世で生きていく上で起こる苦しみを、生・老・病・死という「四苦」というものにまとめられました。

さらに、この四苦に、人間として生活していく上で味わう苦しみとして、愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)という「四苦」を加えたものを「八苦」と言われ、これらをまとめて、「四苦八苦」と言われています。

これら四苦八苦は、人生において避けて通れない苦しみです。

かけがえのない人生を生きていく中では、この四苦八苦に対する心構えを持って生きていく事が大事だと思います。

今回は先ず、四苦八苦の中の「生老病死」の四苦についてお話します。

では先ず、四苦八苦の最初に示されている「生苦」についてです。

これは、人として生まれ、生きていく全ての苦しみの根源となるものです。
母親の胎内で成長していく中でも、無事に生まれるか不安と心配な気持ちで出産日を待っていますし、生まれた後の事も不安です。
そして、人として生まれる事により、全ての苦しみがつきまといます。
生まれる事の苦しみは、生まれたからには、この後に来る老・病・死は避けられないという事でもあります。

「老苦」は、老いていく苦しみです。
誰でも歳はとりたくないし、老いたくはないと考えると思いますが、これは全ての人間が避けて通ることが出来ないものです。
歳を取って体が老いてくると、しだいに目や耳も衰えてきて体の動きも鈍ってきます。
若者もいつか歳を取り、容姿も若い頃のような張りのある肌ではなくなり、しわも増え、見た目も老けてきます。
体の老いと共に体力の衰えや判断力も低下し、やりたい事を存分に楽しめないとか、物忘れが酷くなって助けが必要になる等、これまで出来ていた事が出来なくなっていく事への不自由さ等から、老いてゆく事への苦が生じます。

「病苦」は、病に罹った時に起きる苦です。 
人間は生まれてから死ぬまでの間、病に罹る事を避けては通れないものです。
病は、症状の軽いものから癌のような重いものまであり、体的な苦痛や、精神的苦痛まで、病による苦は、病気が治るまで続きます。
病気になり、体が健康であった時の事を思うと心も苦しくなります。

「死苦」は、「生・老・病・死」という、体の面からみた苦の中でも、死に対する苦は、その最たるものです。
死は生きてる人の全てに、いつか必ず訪れるものであり、どんなに偉い人でも免れる事は出来ません。


死に対する苦の中で多くの人が感じる不安や恐れとして、「自分は将来、どういった死に方をするのか」・「呼吸が止まる時には、どんな苦しみがあるのか」・「死んだ後、自分はどうなるのか」、これらは全て未知であり、経験もした事が無いものなので、誰しもが不安と恐れがあるものです。
また、死別によって起きる悲しみを考えると、死そのものへの不安や恐れと、死に向かっていく苦しみが増してきます。

この世に生まれて、いつか死を迎える時に、少しでも恐れを和らげるためにも、今をどう生きるのかを考えていこうとする、お釈迦さまの教えがあります。

死は全ての終わりではなく、消え去る事でもなく、浄土において安らいだ魂として生き続けるという、大きな流れの中の一部であると考えます。

それならば、あの世での暮らしが安泰であるように、今をどう生きていくかが問題であるという事に重点をおいて過ごしていくと、死んだ後、お釈迦様の教えに沿った考えや生き方が反映され、相応の安らぎを得る事が出来ます。

こういった四苦という苦しみは、誰もが避ける事の出来ない苦ではありますが、生きていく事で起きる苦しみや不安は、経験して分かるというものもあります。

例えば、大病をして健康の有難さ、生かされている(まだ生きる事を了承されている感)を実感し、お世話になった家族や周囲の人への感謝から他人に優しくなれたり、これまで不摂生してきた生活を見直し、与えられた残りの人生を素直に明るく生きて行こうと思えるなら、それは苦を乗り越えて、楽(この世に生き方が、あの世の暮らしを決めるという道理)を手に入れたと思います。

また、老いは若者にない安らぎと安定があります。 長い人生の中で、喜びや悲しみも味わってきた老人には、その体に深く刻まれた「しわ」は美しい年輪のようです。
色んな経験を経て、常に心が安定した老人の心(魂)には、力強い意思の力が内在しています。
これまでの人生で培った豊富な経験や知識を心と体に刻み込んでいるので、まだ色んな事が未経験者である若い人への生きた教科書としての役割も果たせます。

苦を乗り越えてきた人達の話は、自分と同じように苦しまれている人の心の助けとなり、多くの人の心に希望と勇気を与えるものです。

苦というと、苦しむ事ばかり考えがちですが、苦を通して生き方に気付く(真理に気付く)という事が、自分で自分を救うという事に繋がりますし、人生の楽を手に入れる事にも繋がります。

それがこの世に生まれ出た意味(魂の成長)に繋がりますので、しっかり成長した魂は、死後の世界は安らいだ安泰の世界となるでしょう。

こうして、苦や死という恐れから、少しでも遠ざかりつつ、恐れ過ぎず、苦と共に生きて行ける人生である様にと、お釈迦様は説かれていると思います。

今、自分に起きている事の訳を考え、これまでの自分の考えを見直したり、今後どう対処していこうか等、苦がやって来る時は自分見直しの機会、成長する機会が訪れたと思って、出来る事から取り組んで行けば、何か成長するはずです。 気が付けば、悩みが減っていたり消えていたりしますよ。 

身に起きる苦は乗り越えられるものしか来ないという真理があるので、希望を持って努力して進めて行けば解決の光が見えてきますよ。

今回は、四苦八苦の中の「生・老・病・死」の四苦についてお話しました。

次回は、先の四苦に加えた「愛別離苦(あいべつりく)」・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦についてお話して、四苦八苦のお話とします。